名建築記憶と記録 法隆寺 夢殿、東院の鐘楼編

男は西院伽藍で飛鳥の風を感じたあと、一人東院に向かった。

男は夢殿以外にも東院に行く目的があった。

そうそれは東院の鐘楼だ!

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名建築記憶と記録 法隆寺 金堂・五重塔・廻廊編 図解付き


東院の伽藍配置

 

東院の伽藍

東院は夢殿(ゆめどの)を中心とした配置となっている。

礼堂、絵殿、舎利殿は外部から眺めるしかない。

入口は南門ではなく、西院伽藍から四脚門(しきゃくもん)を通って夢殿にたどり着く。東院伽藍もチケットが必要だ!!

夢殿 国宝 奈良時代

夢殿を南側からみる

夢殿は聖徳太子と等身大の救世観音像が祭られている。春と秋に本尊の特別開帳がある。

夢殿の概要

  • 断面構成は単層
  • 平面構成 八角円堂
  • 屋根 本瓦葺き

芸術が爆発する夢殿

夢殿は西円堂と同じく平面は八角形で柱も八角形になっている。

壇上積、二重基壇の上に建ち、擬宝珠高欄が巡っている。※擬宝珠(ギボシ)とはタマネギのような形をしたお寺でよく見かけるやつです。

夢殿の擬宝珠(ギボシ)

扉は四面につきそのほかは連子窓内部板張りになってる。扉を開いた時の上部の欄間がアクセントになっている。

夢殿は奈良時代の建物だが、鎌倉時代に何度か修理されており、屋根を含めて大改造が行われて現在の姿になっている。鎌倉の大改造で一番大きな改修は屋根の勾配が変わっていることだ。

創建当時は今の屋根勾配よりも、もっと緩かったようだ。

他の建築物でもそうだが、屋根の勾配が創建当時よりも変化している建築物は多くある。

屋根の勾配で建築物の印象は大きく変わってくる。夢殿は創建当時よりも重厚な印象になっているといわれている。

東大門から夢殿を見る 屋根勾配がよくわかる

東大門から夢殿を撮影した写真です。

上記の写真で屋根の勾配が急なのがわかる。創建当初の屋根勾配を想像してみると、もっと軽快だったんだろうと思う。

夢殿の宝珠

奈良時代にすでに芸術は爆発していた!

夢殿の宝珠はとても派手で面白い。中心の光を放つような形の周りに小さな宝珠が配置されている。岡本太郎ばりに爆発しているではないか!

西圓堂の宝珠と比べると派手さがよくわかる。

※黒い鳥は本物のカラスです。カラスが2羽ちょうどいい位置にとまっていました。

夢殿の内部の天井

夢殿の内部には入れないが、外から中を覗くことはできる。中は暗いので外から目を凝らさないとなかなか見えない。内部の天井はドーム型になっている。

上記のスケッチは思い出しながら、平面を考えながら書いています。簡単なスケッチでなかなかイメージしずらいと思いますが、一度夢殿にいかれた時は中をのぞいてみてください。

礼堂 重要文化財

夢殿より礼堂堂をみる

礼堂は1231年に建てられた。夢殿に向かった面はすべて蔀戸(しとみど)になっている。

絵殿 舎利殿 重要文化財

絵殿と舎利殿は一つの建物

向かって右側が舎利殿、左側が絵殿。宝物を収める蔵だそうだ。真ん中の開口部分は馬が通る道だったそうだ。ただこの石の階段を馬が通れるのかは謎!石の階段は後からつけたものかもしれない。

馬道(めのと)から伝法堂をみる

舎利殿、絵殿の間から伝法堂が見える。

鐘楼 国宝 鎌倉時代

東院の鐘楼

この鐘楼は東院伽藍を出て、少し北に行ったところにある。この鐘楼はほとんどの人が通り過ぎているが、通り過ぎるにはもったいない建築物だ!!

法隆寺を回って最後にたどり着くのは東院伽藍だが、最後の最後にこの鐘楼がある。ここまで来て、この鐘楼を見ないのはもったいない!!

美しくかっこいい鐘楼

この鐘楼はスカートをはいているような形をしている。袴腰付鐘楼だ。

今は袴腰部分の三分の二は板張りになっているが、もともとは漆喰塗だった。

この袴腰と上部のバランス、屋根を支える軒下の組み物の部材寸法、高欄の高さと部材の細さなど、絶妙なバランスで構成されている。

法隆寺の中でも小さな建築物で、大きさに圧倒されることはありませんが、全体のバランスがとても美しい建築だ。

鐘楼の軒下を見る

上記画像は鐘楼の軒下部分を見上げた写真。

垂木、組物、切目縁、高欄などそれぞれ繊細な寸法になっている。

繊細だが、まったくヨワヨワしい感じはせずにものすごくいいバランスよくまとまっている。

噛めば噛むほど味が出るそんな建築だ。

伝法堂 国宝

伝法堂

伝法堂は住宅として使われていた。奈良後期時代の住宅建築が残っているのはとても貴重な遺構だそうだ。

妻側からみると二重虹梁蛙股の形式がよくわかる。

南門 重要文化財

東院にも南門はあるが、現在ではまったく使われていない。道路から南門は見ることができる。

東大門 国宝

西院から、東院に向かうときに通る東大門。この門も国宝になっている。何気なく通るこの門だが、もともとはこの場所にはなかったらしく、南向きの門としてどこかに建っていたものを、1039年頃に現在の場所に移築してきたそうだ。

東大門は三棟造りという形式で屋根がかかっている。妻側は伝法堂と同じく二重虹梁蛙股となっている。

東大門の断面と立面のスケッチ

版築の塀

法隆寺境内の塀は、ほとんどが版築でできている。重要文化財になっている塀もあるようだ。

版築とは何層も土を突き固めて壁を築く工法のこと。境内を歩いていると、塀の表情がそれぞれ違ってい。

版築の塀は施工するのが難しく、作る度に試行錯誤をしているのが塀の表情の違いになって表れている。

版築の塀が法隆寺全体の柔らかい雰囲気を作っている。