白鳳伽藍の復興 薬師寺

奈良県奈良市西ノ京にある薬師寺は、天武天皇が680年に発願して創建されました。薬師寺には本薬師寺からの移築説と現在の地での新築説があります。現在では新築説で確定しているようです。現在の薬師寺の伽藍は東塔以外は再建です。東塔が解体修理中(2019.6月末時点)なので、東塔以外の部分を紹介していこうと思います。私が古建築のことを教えていただいている先生から聞いた薬師寺の裏話もはさんでいきます。写真はすべてクリックすると拡大されます

白鳳伽藍の復興

薬師寺は1528年(享禄元年)に兵火で東塔以外は焼失してしまいました。現在の薬師寺の伽藍は東塔を除いて再建されたものです。

西塔は焼失後再建はされずに、基壇だけ残っていましたが、453年後の昭和56年に再建されました。

昭和の再建の前に建っていた金堂は、1676年(延宝四年)に再建されたものです。現在は興福寺に移築されて、興福寺の仮講堂となっています。

講堂は1857年(安政四年)に再建されたものがありましたが、平成に建て替えられ現在に至ります。

伽藍の復興は昭和42年に高田好胤管主が発願され、大工工事は西岡常一棟梁が担当されました。

薬師寺の木材

薬師寺の復興のために大量の木材が必要になります。その当時、日本には再建で使えるような大木はありません。再建に使える木材(檜)は台湾から輸入せざるをえませんでした。

当時日中国交正常化で、台湾から木材が輸入できなくなるかもしれないという事態になったそうです。私の先生が高田好胤さんからどれくらいの木材が必要かと聞かれたそうです。

先生は、「買えるだけかいなはれ」おっしゃったそうで。好胤さんもそれに応じて台湾の木材を買えるだけ買ったそうです。現在台湾では、檜の伐採が禁止になり輸入できなくなっています。

写真で見るような大木はもうすでに日本にはないというのも残念な話です。今後こういう国宝の建築物は再建できないかもしれません。

木取 

柱などの木材は八角形から徐々の円にしていきます。この大きな木からいくつかの部材がとりだせます。

東塔 国宝

東塔は現在解体修理中で素屋根がかかった状態です。2019年の6月末には完成して、素屋根が取れる聞いていたのですが、残念ながらこの時はまだ素屋根は取れていませんでした。

2020年の五月くらいに落慶法要があるようです。東塔はまた来年紹介しようと思います。

下の写真は2018年の冬に、解体修理の見学に行った時の写真です。組物を近くで見ることができました。木材はさすがに傷んでいるところもありましたが、千年の風格があります。

東塔解体修理の写真

西塔

西塔は1528年に焼失後、土壇と礎石だけの状態でした。現在の西塔は土壇をコンクリートで覆い、その上に建っています。土壇は特別史跡に指定されているため、直接塔を建てることができなかったようです。

そのため、東塔よりも高さが少し高くなっています。

西塔は各層裳階付きの三重塔です。各層の屋根の下は裳階というもので雨除けです。一見六重に見えますが、三重塔です。

西塔は東塔をモデルに再建されています。東塔と違うところで大きな部分は最上部の屋根勾配が東塔よりも緩くなっているところです。東塔の屋根勾配も創建当初は西塔のような屋根勾配だったのではないかと思います。

薬師寺の西塔、東塔は各層に裳階がついているため、どこにもない独特な形をしています。細部の特徴としては肘木の下に舌(ゼツ)というものが付いています。

西塔は西岡常一棟梁による再建です。西岡棟梁は薬師寺以外にも、法輪寺三重塔や、法隆寺の解体修理なども手掛けられています。

西塔

西塔の水煙

東塔の水煙は天女が舞い、凍れる音楽と言われています。上記写真は西塔の水煙です。わかりずらいですが、西塔の水煙も天女が舞っています。

三手先の組物

飛鳥から和様の過渡期と言われている三手先の組物です。唐招提寺で和様の三手先は完成形になります。

 

西塔と建築基準法

西塔はすべて木造で建てられていますが、金堂の内部はコンクリート造(以下RC)で、外部は木造になっています。金堂が先に再建されましたが、金堂建設当時は建築基準法的にすべて木造で建てることはできなかったようです。

西岡棟梁は金堂をすべて木造でやりたかったそうですが、法的に難しかったので、内部はRCによるしかなかったそうです。金堂の内部には防火シャッターも付いています。

西塔を再建するときに建築基準法が改正されて、すべて木造でできるようになったようです。先生から聞いた話では、この西塔を木造で再建するために建築基準法(第3条)が改正されたそうです。

金堂

金堂は重層で各層裳階付きの豪華な金堂です。奈良時代の僧が龍宮をみて、そのデザインを見て建てたという説話があるそうです。それで、龍宮造りともいわれています。

龍宮造りというだけあって壮麗な外観です。

正面三間の裳階の屋根が他よりも一段上がっています。これは正面を表すための意匠で、平等院鳳凰堂や東寺(教王護国寺)の金堂などにもみられます。

金堂は1528年に焼失する前の形はどのような形式だったかはわかりませんが、現在の金堂は壮麗でなかなかいい金堂だと思います。

金堂も西岡棟梁が担当されました。

金堂本尊台座の模型が東僧房の中にあります。台座に描かれている人物や模様などが面白いのでぜひ見てみてください。

壮麗な金堂です。

東僧房に置かれている台座です。

 

何人でしょうか。

 

中門

中門は伽藍の南側にあります。この中門も再建されたものです。柱をよくみると、少しふくらんでいます。胴張付きの柱になっています。中門といえど、五間もある大きな門です。両脇には仁王像が入っています。

中門から金堂の正面がみえます。ここからでも拝めるようになっています。

この中門の妻側から回廊が伸びていきます。

南側からみた中門

中門の胴張付きの柱

 

回廊

回廊ははじめ単回廊で再建されようとしていたようですが、発掘調査の際に複回廊だということがわかり、複回廊で再建されることになりました。

複回廊は薬師寺、興福寺の中金堂(現存しない)、京都御所紫宸殿などが複回廊になっています。

複回廊は回廊の真ん中に壁があり、その上に屋根がかかっているものを言います。単回廊は法隆寺の西院にある回廊をいいます。

回廊は金堂よりも少し北側でとまっています。講堂についている回廊も途中でとまっています。私はずっと工事のために開けているのだと思っていたのですが、私の先生曰く、消防車が通りやすくするために、回廊はつなげていないようです。

複回廊の伽藍外側

回廊がつながっていない様子

講堂

講堂は金堂よりも大きな建築物です。古い時代では講堂が金堂よりも大きいのが定石だそうです。

大きさの割に柱が少し細く感じます。大量購入した木材も少し足りなかったのでしょうか。

とても大きいので、正面からでは写真には納まりきりません。

大きさが伝わりにくい写真ですが、とても大きいです。

東院堂 国宝 鎌倉時代

東院堂は鎌倉時代1285年(弘安八年)に再建されたものが、伽藍の外にあります。奈良時代の東院堂は973年(天録四年)に焼失してしまいました。奈良時代の面影はなく、禅宗様の影響が随所に見られます。

東院妻側

桟唐戸などの禅宗の影響がみえます

玄奘三蔵院伽藍・大唐西域壁画殿

薬師寺の見どころは白鳳伽藍と玄奘三蔵院伽藍です。白鳳伽藍を北の入り口から出ると道を挟んで、玄奘三蔵伽藍があります。この伽藍の中に平山郁夫画伯が30年かけて書かれた壁画があります。

玄奘三蔵がインドまでの旅路が描かれています。圧巻です。

まとめ

東塔は今回見ることができなかったので、また来年訪問したいと思います。

薬師寺までの行き方

薬師寺へは近鉄橿原線西ノ京駅が最寄の駅です。橿原線は近鉄西大寺で乗り換えになります。西ノ京駅から歩いてすぐです。

駐車場もあります。

開門はAM8:30~PM17:00までとなっております。

奈良県奈良市西ノ京町457