奈良のミステリー 史跡頭塔

このブログは一人の男が、史跡と向き合った記憶と記録である。

元興寺と新薬師寺の間あたりに頭塔(ずとう)なるものがある。

今も思い出す、はじめて頭塔をみたときのことを。なんじゃこりゃ~っと驚きと胸騒ぎを覚えた。

異様な見た目、何か普通でないものが目の前にあった。

ずっと行きたかった頭塔に今日やっとくることができた。そうずっと来たかったのである。

頭塔とは何なんだ?

頭塔は奈良時代の僧玄昉の首塚と伝えられてきたが、東大寺の別当良弁の命により実忠が造営した土塔であることが明らかになっている。(現地の案内板より)

そうなのか!この頭塔は奈良時代に建立されたのか!!奈良時代からこの土の塔があったとは!!!しかし何のために建てたのか(建てるが正しいのか?)わからない。奈良のミステリーハンターとして今後調査の対象にしよう。

頭塔は階段状の土の上に浮彫り、線彫りで如来三尊などを彫った石(石仏)を配置している。そして、頭塔の中心には心柱もある。この心柱の下部に仏舎利のようなものはなく、形式的に埋め込まれた柱のようだ。

発掘調査により頭塔は一辺が32mの基壇の上に七段の階段状の石積みをして、奇数段(1段、3段、5段、7段)に石仏が配置されていたとある。石仏は、東西南北の4面に各11基づつ配置され、全部で44基あったが、確認できたものは28基だけだ。奇数の段、44基の石仏、この数字になにか意味があるのだろうか?知れば知るほど謎は深まるな・・・。

土塔はとても珍しく、この土塔の他には堺市の行基が造営した土塔しかないようだ。

頭塔と呼ぶのが正しいか、土塔と呼ぶのが正しいのか・・・・

奈良県の公式ページにこの塔の事は載っていて、そこでは「史跡 頭塔」と出ている。頭塔が長い間通称になっているようなので、頭塔と呼ぶことにしよう。

発掘調査前の頭塔

頭塔の周りに鑑賞用のデッキがある。その一部に頭塔の説明のパネルが設置されている。それを見ると、発掘調査前は下記のようなこんもりした小さな山だったようだ。南側の木は現在でも残っているが、他の方角は元の石段の上から改修工事で石を積んでいる。元々の頭塔を保護するために石を積んだようだ。

1987年までは上記画像のような感じで、ちいさな山にしかみえない。この時は石仏なども奈良時代からそのままの状態だった。千年以上たっても風化せずに残っていたのはロマンがあるな。発掘調査前も異様な雰囲気を漂わせている。

石仏の上には元々瓦の屋根があったそうだ。今は、石仏保護のために小さな瓦の庇を設け、陽射し、風雨から石仏を守っている。現在の庇は元々あった屋根を復元したものではなく、最小限で石仏を守る装置としての庇のようだ。

全て創建当時のものではないそうで、中には複製の石仏もあった。新しい石仏は抜き取られてなくなっていた部分に配置されている。

この石仏をじっくり見ていると、自分がどこか遠い国の遺跡にいるような錯覚に陥った。う~んインドっぽいな。(行ったことないけど)

ほとんど風化している石仏もある。もしかしたらただの石?しかし、通常の石ではないタダナラヌ雰囲気を出していたので、撮影。

風化していても、普通の石ではない何かが伝わってくる。

奈良時代からあると思われる石仏。はっきりと形が残っているものある。

頭塔の外観

上記画像は南東側から頭塔をみたところ。

上記画像は北西側からみたところ。

上記画像は北から南を見たところ。

頭塔の場所

頭塔の場所を記録しておこう。頭塔は石破のバス停の裏手にある。ホテルウェルネスの前を通って頭塔の前まで行ける。

新薬師寺から元興寺のほぼ真中にある。東大寺南大門から南に約1kmほどだ。

 

 

頭塔見学の際の注意

春と秋に特別公開があるので、その時は9:00~17:00までの間で見学できますが、普段は閉まっているようなので、下のHPで確認してください。

ホテルウェルネスのフロントに見学を申し込む方法と前日までに管理人に電話して見学する方法の二通りの方法で見学の申し込みができます。

頭塔見学についてはこちらを確認してください

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