唐招提寺へのみち その2

唐招提寺へのみちその2では、講堂や、鼓楼など金堂以外の見所を紹介します。唐招提寺は金堂以外の建築物も見ごたえがあります。今回の訪問で謎の石も発見しました。ぜひご覧ください。

金堂以外の見所

金堂以外の建築物は、講堂、鼓楼、宝蔵、経蔵、礼堂があります。残念ながら公開されていませんが、東山魁夷の障壁画がある御影堂もあります。

唐招提寺には五重塔もあったそうです。五重塔の礎石?みたいなものも見つけたので合わせて紹介します。

講堂 国宝 奈良時代

講堂は平城京朝集殿を移築してきたものです。760年(天平宝宇四年)に移築されてきたと考えられています。

平城京の宮殿建築が残っているということで大変貴重な建築物です。

しかし、この講堂は建具に禅宗様の特徴がみられます。正面は桟唐戸になっていて、その戸を受ける藁座(わらざ)は禅宗様で出てくる意匠です。

この講堂は1275年(建治元年)鎌倉時代に修理されています。その時に、建具以外も改造されているようで、所々に特殊な意匠がみられる面白い建築物です。

講堂の中に金堂の断面模型や、金堂内部の支輪板、金堂の柱上部の大斗など、それとなく展示されています。見ごたえのある展示物です。

講堂は正面からは入らずに西側(妻側が入り口になります)

桟唐戸(右側)連子窓。建具が変わるだけで雰囲気が禅宗様になります。この講堂の元となる復元模型が奈良文化財研究所の資料館で展示されているらしいのですが、また機会があれば行ってみます。

礼堂・東室 重要文化財

講堂をでると正面に礼堂・東室があります。礼堂東室は馬道(めのどう)という吹きさらしの空間で前後に分かれています。

馬道を挟んで南側が礼堂、北側が東室になっています。

講堂をでると馬道を通って、宝物館や、鑑真和上廟のほうに行くことができます。

現在はありませんが、西室もありました。

講堂をでると、このような感じで礼堂・東室が見えます。右側が礼堂で左が東室になります。有無を言わせずこの間を通りたくなります。

南東側からみた礼堂です。屋根の勾配がとても緩く軽やかな感じです。それにしても長い建物です。

 

経蔵・宝蔵 国宝

礼堂・東室の馬道を抜けると右手に経蔵と宝蔵があります。北側にあるのが、宝蔵で南側が経蔵になっています。大きさは宝蔵のほうが大きいですが、作りは両方とも校倉造りになっています。

宝蔵は寺の記録や、寺宝を収容するためにあり、経典だけを保存する建物を経蔵といいます。

この経蔵は唐招提寺創建前の新田部親王邸の蔵を改造したもので日本最古の校倉となっています。

校倉造りは日本で唯一の組積造です。木造で組んで積み上げていく工法はこの校倉造りだけです。ログハウスもそうですが、奈良時代にすでにあったのが面白いですね。

断面のデティールも美しいです。三角形断面の木を校木といい一本ものの材でできています。

それを井桁に組んで積上げていくのですが、これだけの量の木材を断面をそろえて積み上げるのは相当手間がかかっただろうと思います。

海外のログハウスは丸太を大体合うように積み上げていっているので、このような美しい断面にはなっていません。

おそるべし奈良時代の工匠。

写真は経蔵です。手前に宝蔵があります。日本最古の校倉です。

宝蔵の角のデティールです。三角の断面がきれいに積み上げられています。校木の一番下の少し飛び出している部材はネズミ返しの役割をしているそうです。

高床になっていて下の束は床で止まって上まではありません。積み上げた木材で加重を負担しています。

御影堂 重要文化財

御影堂は鑑真和上の像を安置しています。令和元年6月現在、平成27年からの改修工事で工事中となっています。

御影堂は工事中でなくても通常は非公開なのであまり内部を見る機会はありません。一年に一度六月六日の前後三日間だけ内部が公開されるそうです。

私もまだ一度も見たことがないので、改修工事が終われば行ってみたいと思います。

この御影堂の内部に東山魁夷の絵もあるので、それも一度みてみたいところです。東山魁夷の作品は現在北海道に出張していました。

去年の2月ころですが、建物が曳家されていました。かなり大がかりな工事をしています。(免振工事?)

建物が手前から奥に移動していました。

鼓楼 国宝 鎌倉時代

鼓楼は金堂を正面に見て右側にある建物です。

小さな建築物ですが、いい意味で重厚な感じがします。下層と上層に縁を設けているのが特徴的な建物です。上層の縁に人が上ったのでしょうか。

存在感のある建築物です。

謎の礎石たち

今回初めて発見したのですが、敷地の北西に醍醐の井戸というものがあります。その横に謎の礎石が無造作に置いてありました。

礎石には苔が生えていて長年放置されているのがわかります。遺跡感満載の礎石です。

石の真ん中に出っ張りがあるので何かの礎石だったと思うのですが、どこに使われていたのでしょうか。

ちょっと推測してみました。礎石は四つなので、昔唐招提寺にあった五重塔の四天柱の礎石ではないかと思ったのですが、心柱にも礎石があるはずなので、もう一つないとおかしい。

詳しい先生にも聞いてみたのですが、わからないということでした。で、この件はわからないということになりました。

歴史は推測するのも楽しめるので、もう少しこの件は楽しみにとっておこうと思います。

まとめ

唐招提寺は古いお寺なので見所がたくさんあります。中に入れる建築物はありませんが、外からでも十分見ごたえがあり、楽しめます。

唐招提寺の地図はその一のほうをご確認ください。

唐招提寺へのみち その1