このブログは一人の男が名建築と向き合った記憶と記録である。
男はある寺院の門の前にいる。そうここは新薬師寺!あの十二神将がいる寺院だ!
今日は春日大社から、ささやきの小道を歩き、住宅街を抜けてここに来た。住宅街の中にある寺院で門の前に立つと別世界にきたようだ。
新薬師寺は薬師如来と十二神将があり、見仏派にも人気のあるお寺だが、男の目的は新薬師寺の建築物だ。
十二神将ももちろん好きなのだ。しかし、今日は本堂をはじめとする建築物の魅力に迫りたいのである。
新薬師寺の歴史
新薬師寺を出て、入江泰吉写真記念館の前を通りすぎて坂を少し下ると、奈良教育大学付属小学校の運動場の裏手になる。そこに新薬師寺の元の金堂?の基壇跡が出てきたという案内があり、もし、これが元の新薬師寺の金堂だとすると、相当な大きさの寺院になる。
現在の本堂は元々何の建物であったかはわからない。
南門
現在の新薬師寺の入り口になる南門だ。奥に本堂が見えている。はやく本堂を見たい気持ちを抑えて、まずはじっくりこの門をみてみよう。
この南門は鎌倉時代の建立となっている。鎌倉時代の四脚門の意匠がわかる重要なものだそうだ。
うん?この門の蟇股(梁中央に見えるやつ)はどこかで見た形だな。東大寺転害門と似た形ではないか!!この門は鎌倉時代の門だが、奈良時代の形を踏襲したのだろうか。
この蟇股は両端が円になっていてクルリンとなる形が可愛らしい。これからはクルリン型蟇股と呼ぼう。
鐘楼
本堂を早くみたいが、この鐘楼も見ておきたい。
この鐘楼は創建年代はわからないが、鎌倉時代初期だと考えられている。
鐘楼の下部はしっくい塗のスカートのような形になっていてこのような鐘楼を腰袴付鐘楼という。腰袴がロングスカートのようになっていて清楚な雰囲気が漂っている。
腰袴部分より上部構造が少し大きく感じるが、上部は和様で華美にならず簡素な美しさだ。
普通鐘楼といえども高欄がついているが、この鐘楼には高欄がない!!それも簡素に見える要因の一つだろう。
高欄がないのもスッキリしていていいではないか!う~ん、いい感じ。
中に釣られている梵鐘は元々、元興寺にあった鐘だったといわれているそうだが、確証もないそうだ。(豆知識)
新薬師寺の本堂
さあいよいよメインの本堂だ!!
新薬師寺の本堂は薬師如来と十二神将が円形の須弥壇の上に祀られている。十二神将の配置方法が斬新で、須弥壇をぐるりと廻りながら参拝するドラマチックな参拝方法になる。
簡素な内部空間に円形の須弥壇、迫力ある十二神将、奈良の片隅にある寺院だが、ものすごい内部空間が展開されている。
中に入る前に外観をみてみる。
本堂の外観は柱頭に組物もなく、壁には頭貫、地覆長押、扉上部のまぐさ以外の水平材がない。
そのため簡素というよりも、清楚な佇まいという印象を受ける。鐘楼もそうだが、新薬師寺はどうやら清楚系のようだ。
本堂は鎌倉時代以降に改造されて、明治31年の解体修理までは入り口の前方に庇がついていた。明治の解体修理で、奈良後期時代の形にもどされたそうだ。
軒先は二軒(ふたのき)で、地垂木が円、ヒエン垂木が角材の地円飛角になっている。軒裏の漆喰の白い部分と垂木の黒ずんだ対比が、さわやかなリズムになっている。
中備は間斗束で非常にシンプルな構成になっている。
※中備えとは、柱と柱の間の頭抜の上に立っている束
柱頭のおさまりは大斗の上に舟肘木、内部の虹梁の端部が出てくるのみ。この部分のデティールと同じように内部も簡素な構造になっている。
簡素ですが、垂木も密に入っていて力強さも感じられる。部材も太すぎず、細すぎず、均整のとれた美しい軒裏だ。
二重基壇?の下側は野面積みになっている。この時代に真、行、草の考え方はなかったと思うが、真、行、草のようなレイヤーの重ね方になっていて面白い。
うん?なんだこれは!!ステンドグラスじゃないか!奈良時代にステンドグラスがあったなんて、聞いたことがない!
それもそのはず、このステンドグラスは奈良時代のものではなく、昭和くらいに和尚さんがいれたものだそうだ。
本堂は国宝なので、釘など使わずに嵌められている。普段内部の扉は閉じられているので、中に入ってもステンドグラスの光はみれないが、お願いしたら見せてもらえるかも?
本堂の構造
さあこの簡素な本堂の構造はどのようになっているのか。
この構造が好きなので、断面図を描いてみた。
本堂の清楚さはこの構造の簡素さから来ているようだ。内部須弥壇の上は虹梁の上に扠首(さす)組をして屋根の加重を支えている。
この構造の利点は扠首によって虹梁に引っ張り力がかかり、虹梁には軸力しかかからないため、虹梁の部材を小さくすることができることだ。
力学的合理性がこの本堂を軽やかにし、バランスのよい部材寸法で構成されることによって、簡素ながら美しい本堂になっている。
ちなみに、この構造は法隆寺の西院伽藍の回廊と同じ構造になっている。
上記画像は法隆寺の西院伽藍の回廊のスケッチです。
余談
飛鳥時代には扠首で屋根を支える構造がすでにあった。鎌倉時代に回廊が付け加えられたときにはこの扠首構造は採用されず、虹梁の上に束が立つ猪子扠首のかたちで造られた。
飛鳥時代のシンプルで、合理的な架構のこの構造が好きだ。
法隆寺については下記記事参照ください。
名建築記憶と記録 法隆寺 金堂・五重塔・廻廊編 図解付き飛鳥様式については下記で書いています。
飛鳥様式の特徴を解説。胴張の柱、卍崩の高欄、雲斗雲肘木等図解入りで解説本堂のほかもみておこう!
東門
東門は現在控え柱が付いた四脚門の形になってるが、元々は控柱がない棟門だったようだ。
棟門としては最も古い形をしているそうで、建築史的に重要な門となっている。
地蔵堂
小さな地蔵堂だが、この地蔵堂にもキラリと光る部分がある。全体的には均整の取れた美しい形だが、特に見ておきたいのは蟇股だ。
蟇股は古建築の装飾的な部分(時代にもよる)で本当にいろいろな形がある。この蟇股は透かしと、木部のバランスが非常に美しい。
こういった細かい部分も古建築の面白い部分だ。
小さな社
小さなお社もある。
五十の石塔
この謎めいた五十の石塔は実忠和尚歯塚と伝承されている。
元々は十三重の石塔であったようだが、倒壊により現在五層となっている。
元々の石塔は下部二重のみで、それより上部は後から付け加えられたものだそうだ。
謎の石塔
伽藍のはじのほうに石塔あり!!。カッコよかったのでパチリ。いい形をしている。
本堂に向かって左側に香薬師堂と庫裏があり、庫裏では十二神将のバサラ大将の彩色復元プロジェクトのビデオが流されている。新薬師寺を出てすぐ右側には鏡神社もあり、見どころがたくさんある新薬師寺であった。↓
新薬師寺番外編新薬師寺の周辺施設
新薬師寺は謎に包まれた部分も多いですが、建築、仏像ともにとても見ごたえがあります。
春日大社に近いので、新薬師寺の後は春日大社に行くのもおすすめです。
名建築の記憶と記録 早朝の春日大社 奈良の朱をめぐる 春日大社へのおすすめのアクセス方法新薬師寺近くに入江泰吉記念館がります。
入江泰吉さんは奈良の仏像や、建築、風景などの写真を撮られていた方で、古都奈良の記憶を写真でたどることができます。ちなみに入江泰吉記念館の設計は故黒川紀章です。
春日大社→新薬師寺を見ると歩く距離も長くなります。入江泰吉記念館には喫茶店もあるので、写真を鑑賞した後は休憩もできます。
そして、最寄のバス停は破石町のバス亭になりますが、そのバス亭の裏手に頭塔があります。かなりミステリーな場所です。
頭塔の記事はこちら↓
奈良のミステリー 史跡頭塔新薬師寺の場所
駅からは遠いので、直接いく場合はバスがおすすめです。JR奈良駅、近鉄奈良駅から市内循環バスで、破石町下車が最寄となります。