現代の技術と古代の美意識との融合 四天王寺

大阪市天王寺区にある四天王寺に行ってきました。当ブログで世界最古の木造建築、法隆寺の事を書いていますが、四天王寺も興味深いお寺なので、このブログで書いておこうと思います。

四天王寺は度重なる災害や戦火に見舞われ、創建当時の伽藍ではありませんが、現在構造躯体は鉄骨鉄筋コンクリート造(以下SRC造)で再興されています。五重塔、金堂、廻廊は飛鳥様式で忠実に再現されています。木造で五重塔や金堂を建設することはもちろんすごい事なのですが、それをSRC造で造るとなるとそれはそれで一つの挑戦だったのではないかと思います。。

そんな四天王寺の伽藍を今回は見ていきたいと思います。

名建築記憶と記録 法隆寺 金堂・五重塔・廻廊編 図解付き

四天王寺の歴史

四天王寺は聖徳太子によって593年(推古元年)に建立されました。

物部守屋と蘇我馬子の戦いで、蘇我氏派(仏教推進派)の聖徳太子はこの戦に勝利すれば四天王寺を建てると誓い、戦の勝利の後その約束通り、四天王寺を建立しました。

四天王寺は古代から天災、戦災に何度となく見舞われた歴史があります。

戦前の災害では、1934年(昭和9年)の室戸台風で五重塔が崩壊。その後1939年に7代目の五重塔が再建されましたが、1945年(昭和20年)大阪大空襲で焼失してしましまいた。7代目の五重塔は室戸大風で復興してからたった6年間しか存在していませんでした。

現在の伽藍は1963年(昭和38年)SRCで再建されたものになります。これだけ何度も被害にあうとSRC造で再建しようというのも理解できます。

 

四天王寺の伽藍配置

四天王寺の伽藍配置は四天王寺式伽藍配置といい、五重塔と金堂が南から一直線に並ぶ形になっています。法隆寺は五重塔と金堂が並ぶように建っています。四天王寺は仏像が安置されている金堂よりも仏舎利が収められている五重塔に重きを置いた伽藍配置となっています。

五重塔と金堂が直線で並ぶため、伽藍に強い軸線が生まれています。中門の外から見た五重塔ですが、強烈な存在感があります。

伽藍配置は宗教的な何かがあるのかもしれませんが、私は法隆寺よりも四天王寺の伽藍配置のほうが、はっきりとした軸線があるので好きです。

中門南側からの写真です。中門の後ろの五重塔が見えます。南から北へ一直線に軸線が通ることで、迫ってくるような迫力があります。

匠の技で再現された飛鳥様式

四天王寺の伽藍は飛鳥様式で再建されています。正直なところ私はSRC造で再建されたお寺ということで、建築的な興味はあまり持っていませんでした。

ただ法隆寺などを見た後に四天王寺をみると、SRC造で再現していることがとても驚異的なことだと考えるようになりました。SRC造を簡単に説明すると、鉄骨鉄筋コンクリートのことで、基本的な骨組みを鉄骨で造り、その鉄骨を鉄筋で巻き、そしてコンクリートを打設して一体化する構造になります。

基本的な骨組の鉄骨部分はそこまで複雑ではないかもしれませんが、鉄骨をまく鉄筋、コンクリートの型枠などはかなり施工が難しかったのではないかと思います。

それでは現代の匠の技と古代の様式の再現をみていきましょう。

中門の軒裏 クリックすると拡大されます

中門の軒裏です。雲肘木、柱の胴張、皿斗など飛鳥様式の特徴が出ています。垂木は丸で、扇垂木(隅の垂木が放射状になる)となっています。軒の出が深いので、垂木は鉄でできていると思われます。雲肘木などは複雑な形状になってるので、もしかしたら鉄かもしれません。あくまでも推測ですが・・・コンクリートでは流石にこの造形はできないと思います。

法隆寺では垂木は四角ですが、四天王寺は丸となっています。

廻廊の柱 クリックすると拡大されます

以前に廻廊の改修工事が行われている時に見学させていただきました。柱や肘木などはコンクリートでできていました。改修工事の見学のときは塗装がはがされていたのですが、きれいなコンクリートが打設されているのがわかりました。鉄筋、型枠、など技術が高くないとこの造形はできなかったのではないかと思います。

緑色の連子窓(れんじまど)は鉄の角パイプでできています。柱の胴張もきれいに出ています。

金堂の軒裏と高欄

高欄(今でいう手すり)部分の造形も飛鳥様式を再現しています。卍崩し(緑色の部分)は細かいデザインですが、丁寧に再現されているのがわかります。

飛鳥様式を図入りでまとめました↓

飛鳥様式の特徴を解説。胴張の柱、卍崩の高欄、雲斗雲肘木等図解入りで解説 

五重塔の屋根勾配

五重塔の屋根勾配ですが、かなり緩いです。法隆寺などもそうですが、屋根勾配が創建当初よりも変えられているので、最古の木造建築といいながら、形は少し違った形になっています。

四天王寺の五重塔は古式に則った勾配で再建しているようです。少し遠くから見ないとわかりませんが、法隆寺の五重塔と比べるとよくわかると思います。

法隆寺の五重塔も元々はこのような勾配だったんだと思います。屋根の勾配で雰囲気がだいぶ変わるのがわかるかと思います。雨漏りのことを考えると勾配をきつくするのは仕方がないことかもしれません。

敷地の外から撮影しました。屋根の勾配が非常に緩いのがわかります。

法隆寺の五重塔と比べて見ていただくと最上層の屋根勾配の違いがよくわかると思います。法隆寺も創建当初はもっと屋根勾配が緩かったのだと思います。

金堂の屋根

金堂屋根はどこかで見たことがありませんか?

法隆寺の大宝蔵院に行かれた方は見ているかもしれません。大宝蔵院に玉虫の厨子(国宝)がありますその屋根とこの金堂は同じ形をしています。このような屋根の形を錣葺(シコロブキ)といいます。

変わった屋根の形ですね。これは私個人的な勝手な推測ですが、金堂の大きな軒の出を支えるために途中で勾配変える必要があったのではないかと勝手に考えています。今でいう桔木みたいな考え方で、この錣葺ができたのではないかと思っています。あくまでも勝手な推測です(笑)

廻廊

四天王寺の廻廊は単廻廊となっていて法隆寺と同じ形式です。上部の叉首(さす)組も同じです。鎌倉時代の廻廊ではなく飛鳥時代の廻廊と同じ形式にしているところに、飛鳥時代の伽藍で再建しようという意気込みが感じられます。

まとめ

四天王寺の伽藍内部だけに絞ってみてきました。木造で残っているお寺も良いのですが、現代の技術で再建されたこの四天王寺も良いなと思います。

今回は伽藍内部だけですが、伽藍の周囲にも色々あります。

大阪市内にあるので、アクセスは非常にしやすいです。最寄り駅は、大阪メトロ四天王寺夕陽丘前 4番出口徒歩約10分となります。

JR天王寺駅からは徒歩約15分程度となります。