片桐石州は徳川将軍家の茶道指南役を勤めた茶人です。茶道だけではなく、京都知恩院が全焼したときに復興に尽力したり、各地の土木普請奉行も勤めました。茶道の教養だけでなく、建築、土木にも精通していたようです。
私が初めて慈光院の書院を訪れたのは今から15年前です。建築の勉強になるだろうと慈光院の書院を見に行きました。そのときの和尚さんが私に「この慈光院には建築的謎が色々と隠されている」と一言だけ言われ、立ち去られました。
それ以来、その隠された謎を探そうと慈光院に何回も通いました。気づいたことをここに書いておこうと思います。ほぼ私の主観で書いています。すべては書ききれないと思いますので、興味がある方は一度慈光院に行ってみてください。
慈光院の立地
慈光院は奈良県大和郡山市小泉町にあります。大和平野が一望できる小高い丘の上に建っています。建築の話の前にこの立地が重要になっています。書院に行けばわかるのですが、大和平野を借景にするためにこの場所に建てています。慈光院から東に向かって大和平野が広がっています。(矢印方向)
片桐石州は大和小泉の藩主だったので、場所は自由に選べたのだと思います。
石州は慈光院に来た人をいかにもてなすかを色々と考えていたようです。その一つが大和平野の風景ではないかと思います。
アプローチ
慈光院のアプローチは一工夫されたものになっています。丘の上に建っているので道路から坂道を登って門にたどり着きます。
この門を何も気にせずにみるとただの門なのですが、よくよく見てみると半分が壁で、半分が入り口になっています。なんか変ですよね?普通の門であれば、全部開口になっているか、壁が両方についていて真ん中から入るのが普通です。
私の推測ですが、これは門をくぐったときに右側に空間を作るためだったのではないかと考えています。アプローチは丘を削っているので、地盤面よりも低くなっています。その削った土の面を少し広げるためにこのような門の形になったのだと思っています。
これもさりげない所作の一つだと思います。
門をくぐるとすぐに左に曲がります。曲がってすぐに竹が斜めに配置されています。排水のためのものですが、わざわざここになくてもいいはずです。それをこの場所に配置しているのは何かの意図があったのだと思います。
この竹のことは、はじめはあまり気にしていませんでした。いつからかこの竹の意味を考えるようになって一つの答えに辿りつきました。
アプローチは90度に曲がっているので、先が見えません。この先に何があるのか期待が高まります。しかし、その気持ちを抑えて歩くスピードを落とすための機能がこの竹にあるのではないかと考えました。
早まる気持ちを抑えて、ゆっくりとこのアプローチを期待しながら歩いてくださいという石州の想いではないかと私は考えています。
茨木城楼門
アプローチを歩いていくとこの門があります。この門茨木城から移築してきた門です。もともとは瓦葺きだったそうですが、茅葺きの屋根に変更されています。書院の大屋根も茅葺きです。その昔、京都、大阪など都会からやってきた人をもてなすために、田舎の雰囲気を楽しんでもらおうという意図から茅葺きにしているようです。この話は昔和尚さんから聞いた話です。
楼門をくぐると右手に書院の屋根が見えます。田舎の雰囲気がでています。入口はこの写真の左側からになります。
大刈りこみのある庭 書院
拝観料を支払い、書院に案内されます。赤い毛氈が引かれていて、そこに座って待っているとお茶とお菓子を出してくれます。拝観料は千円と少し高いと感じるかもしれませんが、素晴らしい庭を見ながらお茶が飲めるので、千円なら安いかと思われます。
書院は障子などすべて外されているので、パノラマで庭が楽しめます。大和平野も一望できます。(現在は木が伸びてきて座った視線では少し遮られます)
写真を見て頂くとわかりますが、書院からは軒先と縁側で縁取られた庭が見えます。この縁側と軒先の出がこの庭を引き立たせています。ただ縁側をとるのではなく、庭を切り取るために縁側の広さと軒の出を決めたのだと思います。ここまで縁側を広くとっているところはあまりないように思います。
軒裏のデザインもまた秀逸なので、また見に行かれたときは見てみてください。
昔は電車も車もなく、大阪、京都などからここまで来るとなると相当な労力がかかります。長い道を歩いてきて、木が鬱蒼としているアプローチを通り、この書院に通されて見る庭と風景は圧巻だったのではないかと思います。アプローチはこの書院を引き立てるためにあのように薄暗くしているのだと思います。
石州はこの書院と二つある茶室で客人をもてなしたといいます。この庭は季節ごとに楽しめるような植栽になっています。冬に花は咲きませんが、雪が積もったときはものすごく綺麗でした。写真がないので残念です。
昔設計事務所に勤めている時に、和室の天井の桟は床に向けてはいけないと怒られたことがあります。そんなん常識やろ!とその時言われたのですが、その後にこの書院を見たので、怒られ損でした(笑)
江戸時代に床指(和室の天井の桟を床に向けること)はあまり無かったようですが、桃山時代くらいには床指しが普通だったようです。長手方向に桟が走ると部屋に奥行きが生まれるので、床指しのほうが部屋は広く感じます。
書院に施されている工夫は柱にもあります。柱の面取がとても大きくなっています。15mm(5分)くらいの面取になっています。そのために全体的に柔らかい印象を受ける書院になっています。
二つの茶室 高林庵 閑室
高林庵は年代、作者がわかる最古のものです。ここに入ることはできませんが、手前の相番席から雰囲気を楽しむことができます。
高林庵の相番席から見た庭です。茶室に座った客からもこの景色が見えます。大刈りこみの庭はどこから見ても美しく見えるように設計されています。
閑茶室からは庭が見えないようになっています。高林庵と使い分けていたのでしょうか。オープンな部屋だけでなくクローズな部屋も作ってその時々に対応できるようにしているようです。
書院の庭の反対側(本堂側)にも庭があります。ここも落ち着く庭です。
片桐石州の思想
片桐石州の思想は現代にも通じるものがあると思います。私なりに言い換えて紹介します。
●高度な技術も表にだすと野暮になるので、それを自然に見せなければならない。
なんとなくはわかりますが、なかなか奥が深い思想だなと思います。関西風にいうと「ええかっこしい」はあきまへん。といったところでしょうか。
このことは目に見えるものだけでなく、人としてのふるまいのことも言っているのだと思います。この慈光院の建築、庭のデザインにもこれらの思想が反映されていると思います。
まとめ
慈光院は小さなお寺ですが、何度行っても気づきのある場所です。ここは一度行って終わりではなく何度もきて考えを深めることができます。季節ごとに楽しめるので、いつ行かれても楽しめると思います。
慈光院までの行き方
慈光院には駐車場があります。車でも大丈夫です。
最寄り駅はJR大和路線大和小泉になります。徒歩約20分ほどです。途中交通量の多い歩道のない道があったりするので、徒歩のかたは気を付けて行ってください。