男はすぐそこにある、日本最古の木造建築物を前に興奮していた。
そうここは法隆寺西院伽藍。五重塔、金堂を見るためにはここで拝観券を購入しなければならない。
男「大人一枚ください」
受付の人「1500円です」
1500円少し高い気もするが、この券で、西院伽藍、大宝蔵院、夢殿のある東院が見れる。
男は気づいた、一か所500円か!「お得じゃないか」
名建築記憶と記録 法隆寺 南大門、西円堂、聖霊院編図解付き 名建築記憶と記録 法隆寺 夢殿、東院の鐘楼編法隆寺の創建
法隆寺が創建されたのは607年となっているが、「日本書記」によると670年4月30日に法隆寺が焼失したとあり、法隆寺が再建されたという説と、再建はされていないという説で論争があった。
その後、昭和の解体修理などで、再建されたという意見で大方固まっている。
ただ、いつ再建されたか等ははっきりとはわかっていない。
日本で最古の木造建築であることに変わりはなく、法隆寺には奈良前期時代と平安前期時代を除いた時代の建築があり建築史の博物館といわれている。
さすが日本最古の寺院、謎が多い。それもまた法隆寺の魅力だ!
法隆寺の伽藍配置
東に金堂、西に五重塔があり北側に大講堂があり法隆寺式伽藍といわれている。
法隆寺よりも古い四天王寺から伽藍配置が変わっている。四天王寺は五重塔と金堂が一直線に並び、五重塔が金堂よりも南側にあり、五重塔が伽藍の重心になっていた。
法隆寺では五重塔と金堂が並び対等な関係に配置されている。法隆寺では仏像が以前よりも重要になってきている。
上の伽藍の画像で廻廊の折れ曲がっている部分がある。この折れ曲がった回廊は鎌倉時代に付け足された回廊で、大講堂、鐘楼、経蔵をつなぐ形に改造された。
この鎌倉時代に付け足された廻廊は飛鳥様式ではなく、飛鳥様式を部分的に踏襲しながらところどころアレンジされている。
中門 国宝 飛鳥様式
中門の概要
- 断面構成は重層、二層目に機能はない
- 平面構成 桁行四間、梁間三間
- 屋根 入母屋造り、本瓦葺き
- 両脇に仁王像が入る
南大門よりも大迫力!の中門
中門は南大門よりも大きい。この門で注目すべきは門の中央に柱があり中央からは出入りできないようになっていることだ。このような門はみたことがない。飛鳥時代にはすでに片側通行が採用されていたようだ(知らんけど)
柱には胴張があり、雲斗、雲肘木、卍崩しの高欄など飛鳥時代の建築様式を見ることができる。
両脇には仁王像が入り、堂々として迫力がある。
2016年から屋根等の改修工事が終わり、また中門の全容が見れるようになりました。
金堂 国宝 飛鳥様式
金堂の概要
- 断面構成は重層、二層目に機能はない
- 平面構成 桁行五間、梁間四間
- 屋根 入母屋造り、本瓦葺き
- 初層に裳階(もこし)がつく
安置されている仏像
- 金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)
- 金銅薬師如来像(飛鳥時代)
- 金銅阿弥陀如来像(鎌倉時代)
- 四天王像(白鳳時代)
- 吉祥天立像、毘沙門天立像(平安時代)
飛鳥の風を感じる金堂
金堂は日本最古の建築様式である飛鳥様式で建てられている。
金堂の前に立つと他の寺院では感じられない、古代の姿を見ることができる。
洗練されているとはいえないが、簡素な構造による軽快さ、謎めいた模様の卍崩しの高欄など1300年前の姿が目の前にあると思うと不思議な気持ちになる。
内部も外部と同様に見ごたえがる。仏像が安置されている上部の天蓋は壮麗で美しい。
内部の壁画は昭和の修復中に焼失してしまったが、現在は再現された壁画のパネルが取り付けられていて創建当初の壮麗な内部を見ることができる。
内部に入ると胴張のついた立派な柱がある。法隆寺の柱はエンタシスと呼ばれているが、その証拠はまだない。エンタシスのことを胴張と呼ぶほうが、適切であると男は考えている。
金堂は飛鳥様式の特徴が最もよく揃っている建築物だ。飛鳥様式の特徴をまとめておこう。
飛鳥様式の特徴
- 胴張のある円柱(法隆寺の柱のふくらみをエンタシスと書いているものを見かけますが、エンタシスであるかどうかは証明されていません。エンタシスとはギリシャ神殿の柱のふくらみのことを言います)
- 高欄に卍崩しの形が入っている
- 高欄に人形束(又は割束)が入っている
- 軒下の斗供、肘木が雲型になっている
- 柱の上部は皿斗付きの大斗
飛鳥様式図解
飛鳥様式の特徴をスケッチしてみました。クリックすると拡大されるので見てみてください。
飛鳥様式は下記記事でまとめてみました↓
飛鳥様式の特徴を解説。胴張の柱、卍崩の高欄、雲斗雲肘木等図解入りで解説
エンタシスについてはこちら↓
法隆寺エンタシスの柱 エンタシスと呼ばれるのはなぜか?上記画像は金堂の屋根を支えている支柱に施された龍の彫刻。(カッコエエワ~!)
飛鳥様式は構造的に大きな軒の出を支えるには少し無理がある構造で、軒先を支える支柱を室町時代に入れたようだ。
五重塔の最上層にも同じような支柱が入っている。
このような細部の彫刻も法隆寺の見どころの一つだっ!!
五重塔 国宝 飛鳥時代
五重塔の概要
- 断面構成は五層 高さは基壇より約32.5m
- 平面構成 方三間(方は正方形の意味)
- 屋根 本瓦葺き
- 初層に裳階(もこし)がつく
飛鳥美人な五重塔
五重塔を一言で例えるなら飛鳥美人という言葉がぴったりだ。
上に行くほど細くなる姿はとても美しい。プロポーションがいい!!
この五重塔は逓減率*(ていげんりつ)が大きいため、どっしりとしつつ、重たさを感じさせない優美な形になってだ。*逓減率(最下部の平面と最上部の平面の割合)
五重塔も最上層に屋根を支える彫刻付きの支柱が入っている。金堂と同時期にいれたのだろう。
五重塔の内部には釈迦の物語を表している四面に塑像がある。塑像は奈良前期時代に作られたと考えられている。塑像の表情や四面で構成される釈迦の物語はとても見ごたえがる。
五重塔といえば、仏舎利!その仏舎利容器が昭和24年の調査でその存在が確認された。
大宝蔵院にレプリカの仏舎利容器が展示されている。とても綺麗でした。お見逃しなく!
男は五重塔の相輪などをスケッチしてみた。
五重塔の裳階の上部にも彫刻がある。力士像、邪鬼とも言ったりする。各角にある裳階の力士像は上部からの荷重を裳階の柱に伝達している。何百年と頑張っている力士像がしおらしい。
回廊 国宝 飛鳥時代
時代の変遷が分かる回廊
西院伽藍をぐるりと囲む廻廊は、飛鳥時代と鎌倉時代に追加された部分でできている。鎌倉時代に廻廊が追加される以前は大講堂、経蔵、鐘楼は伽藍の外にあった。鎌倉時代に追加された部分は飛鳥様式を完全に踏襲せずに少し手が加えられている。
飛鳥時代の屋根は叉首で組むため虹梁には引張の軸力しかかからず虹梁のサイズを小さくすることができるが、鎌倉時代の廻廊の虹梁(こうりょう)は真ん中に束があるため、中央に曲モーメントがかかるため、飛鳥時代の虹梁よりも太くなっている。
飛鳥時代の構造のほうが力学的には合理的になっている。鎌倉時代には飛鳥時代の構造的な思想が忘れられたのであろうか。
今の時代にも言えることかもしれないが、なんでも新しいほうが技術的に優れていると考えるのは危険な考え方ではないかと思う。
ほかに鎌倉時代にアレンジされている部分は、柱の上部の皿斗だ。皿斗の端部の形が変わっている。この細かいところを統一しなかったのは、作った時代が違うことを後世に伝えるためだったのかもしれない。
大講堂 鐘楼 経蔵 国宝
大講堂は元々廻廊の外にあったため、金堂、五重塔からはかなり離れた場所に立っている。大講堂はいつ頃建ったかはっきりとはわからないそうだ。大講堂は外から見るよりも中に入ったほうがこの建築の素晴らしさがよくわかる。内部に入るとスケールの大きさに圧倒される。
経蔵も大講堂と同じく元々伽藍の外にあった。廻廊が曲がりながら接続されている。反対側の鐘楼も同じようにようになっている。
鐘楼です。経蔵と対になる位置にある。形もくりそつだ。
さいごに
法隆寺の核となる西院伽藍でした。五重塔の裳階の上の力士像は4か所にあります。すべて違う表情をしているので面白いです。いかれた時は探してみてください。
飛鳥様式についてはこちら↓
飛鳥様式の特徴を解説。胴張の柱、卍崩の高欄、雲斗雲肘木等図解入りで解説
飛鳥様式の三重塔の記事はこちら↓
蘇った飛鳥の三重塔・法輪寺と、ひそかな世界遺産・法起寺