名建築の記憶と記録 東大寺南大門 俊乗房重源と運慶・快慶の共演

このブログは一人の男が名建築と向き合った記憶と記録である。

男はある門の前で立ち尽くしていた。ここは日本で最大の木造建築物がある東大寺の南大門。

男は門の巨大さ、偉大さに圧倒されていた。男は何回も来ているはずであるが、毎回男はこの門を前にしてこう思うのである「でっかいな~」と。

東大寺の歴史

東大寺は奈良時代に聖武天皇によって発願され、国の総力をかけて建立された。

奈良時代の東大寺は大仏殿(金堂)のほかにも、高さ約100mにも及ぶ東塔、西塔があり、とても巨大な伽藍であった。

大仏殿の中に天沼俊一博士監修による奈良時代の東大寺伽藍の模型がある。模型をみても当時相当の大きさだったことがわかる。

創建後種々の災害などで焼失した建物もありますが、治承四年(1180年)の平重衡の南都焼き討ちにより、伽藍の主要な建造物が消失してしまった。

平重衡の焼き討ち後の東大寺は、俊乗房重源が大勧進をして再建された。

東大寺は財政的に豊かではなかったので、すぐに再建とはいかず再建の途中で重源は永眠しその後、栄西が引き継いで再建していった。

俊乗房重源

俊乗房重源(1121-1206)は醍醐寺で出家した僧で、三度も宋に訪れ、宋で建築の技術を習得したと言われている。

当時中国で行われていた建築様式を輸入し重源がアレンジしてできた様式を大仏様(天竺様)という。※天竺とはインドのことなので、インドから伝わったと誤解されやすいために今では大仏様と呼ぶことが一般的になっている。

東大寺の再建にはこの大仏様が採用されている。重源が携わった東大寺の建築物で残っているのはこの南大門だけだ。

重源は東大寺の大勧進職に任命された後、自ら資金集め、資材集めに奔走した。重源がこの勧進職を受けたのは還暦を超えてからだそうだ。う~んリスペクト!生涯現役の見本のような人だ。

東大寺の復興に尽力した重源の座像が東大寺の俊乗堂にあり、毎年2回公開されている。魂が乗り移ったかのような重源像は慶派の作だろう。まるでまだ生きているかのような彫刻は当時でも相当な作品だったに違いない。

南大門の概要

南大門は桁行五間、梁間二間、三戸(人が通る部分)、入母屋造り、本瓦葺きとなっている。

高さは基壇の上から約25m、柱の長さが約21mもあり、とてつもなく大きな門だ。

現在の建築基準法で木造建築物は、高さ13m、軒高9mと規制されているが、高さはほぼ倍になっている。約800年も前の建築物だが、大きさのみならずその技術にも圧倒される。

門をじっくり見る前に、まずは仁王像と狛犬をじっくりみてみよう。何回きてもこの仁王像にも圧倒される。

南大門には入り口に向かって右に吽形像左に阿形像が配置されている。※この仁王像の配置は通常とは逆になっている。

通常仁王像は門の正面側を向いて配置されているが、東大寺では門の正面を向かずに門の内側を向いている。中門も同じく仁王像が門の内側を向いている。どういった意図なのだろうか。

阿形像、吽形像は運慶、快慶などの仏師が約2か月で造立したものといわれている。

門単体でも迫力があるが、この仁王像により、一層この門の迫力が増強されている。たった二か月で造られたとは思えないほどの完成度の仁王像。力強さ、迫力、写実的な表現はどこを取っても一流。凄すぎる!!。ただ裏は何も彫られずまっ平になっているそうだ。

阿形像 入口に向かって左

吽形像 入口に向かって右

日本最古の狛犬

門の北側には石の狛犬がある。この狛犬は日本最古の狛犬だ。石は中国大陸からもってきて合計で12年もかかったそうだ。陳和卿(ちんなけい)が作ったとされる。

日本の神社でよく見る狛犬とは表情がまったく違う。飾りの彫刻も細かく素晴らしい。陳和卿は南宋からきているので、この狛犬も日本の狛犬と表情が違うのだろう。

神社などによくある狛犬は阿吽になっているが、この狛犬は両方とも口が開いている。

口が閉じた狛犬は北大門にあったという説もあるが、定かではない。

この狛犬を見ていると石でよくこんな細かい細工ができたなと思う。日本の狛犬には首飾りなどないが、この狛犬は相当お洒落な狛犬だ。

大仏様とは?

さあいよいよメインの門だ。こんなにもじっくり見たのは今回が初めてかもしれない。

重源が関わった建築物で創建当初の形で残っているのは、この南大門と兵庫県小野市にある浄土寺浄土堂のみといわれている。浄土寺浄土堂も大仏様の傑作建築だ!

大仏様は構造が露わになっているので、構造の特徴が理解しやすい。

よし大仏様をまとめておこう。

大仏様の特徴

    • 隅の垂木が扇垂木(おうぎたるき)になっている
    • 垂木の先端に鼻隠しがついている
    • 軒先の下がりを防ぐために遊離尾垂木(ゆうりおだるき)が入っている
    • 木鼻の先端にくり型がついている
    • 柱が通柱になっている(一番上に大斗が乗っているがみえない)
    • 柱を貫でつなげている(貫は鎌倉時代から登場する技術です)
    • 肘木が挿し肘木になっている(一部の肘木は通肘木)

等の特徴がある。

東大寺再建にあたり巨大な建築物を少ない木材で建築するために編み出された架構ともいえる。そのため実際に現地でみると大きさの割に簡素で、軽い印象を受ける。

大仏様が採用されている建築物はこの南大門と大仏殿、浄土寺浄土堂、と東寺(教王護国寺)の金堂(和様と大仏様の併用)などがある。

他にも部分的に大仏様が採用されていたりする建築物もあるが、やはりこの南大門と浄土寺浄土堂が大仏様の最高傑作だと思う。重源は構造即意匠を実践した最初の建築家ではないだろうか。かっこよすぎる!!

南大門 各部のディテール

上記画像は軒先の角部分で、隅垂木が扇状になっているのがわかる。簡素でものすごく豪快な軒先になっている。美しいという表現は似合わないが、豪快な構造がそのままデザインになっている。

垂木の先端に板がついている、これが鼻隠しだ。垂木の先端がみえないので、軒先がすっきりとみえる。この鼻隠しがなかったら垂木の端部が見えて軒先がうるさくなるだろう。重源は構造だけでなく、意匠的センスも超一流だったようだ!

鼻隠しは意匠的な意味合いと垂木の小口を守るという二つの意味がある。

下から4本目と7本目の肘木にくり型がついている。

遊離尾垂木

上部屋根の下真ん中あたりに丸桁を支えている部材がある。これを遊離尾垂木と言って軒先の垂れ下がりを防いでいる。

大仏様より以前は柱の上部に尾垂木を載せて軒のバランスさせていたが、この大仏様では柱と柱の間に入っている。そのため遊離尾垂木といわれている。

大仏様の構造の中でも特に特徴的なこの構造部材は、軒先の荷重と尾垂木の根本の荷重をバランスさせている部材なのでアクロバッティックな部材になっている。

下から2本目、4本目、7本目の肘木が柱を貫通して通し肘木になっている。下から3本目、6本目の肘木の上(通肘木の下部)に鉄輪が補強で入っている。

鉄輪とアングルが接合されていて通肘木が柱から抜けないように補強されていた。鉄輪以外は目立たない補強となっているが、鉄輪とアングルは溶接で接合していないので、少したよりない感じはする。

鉄輪と肘木の下に入っているアングルはアングルとビス?で留まっているだけのようだ。

 

上記の画像は真ん中の列の柱を見上げた写真。柱を下から見上げると、肘木が規則的に並び、直線的な美しさがある。構造がそのまま意匠になる。

まるい穴が開いた部材が二つみえる、藁座(わらざ)が付いているということは昔扉がついていたようだ。

大仏様は貫の技術(道具)がなければ実現することはできなかった構造で、鎌倉時代にやっと木に穴をあける道具が開発されたようだ。

天井もコストの関係でなくしたのだろうか。天井がないおかげで構造の美しさがよくわかる。

上を見上げるとすいこまれそうな上部の空間。タマラナイ!!

西側の壁には昔築地塀が取り付いていた板壁が残っていた。東側には残念ながらこの板壁は残っていなかった。

男の独り言

東大寺の南大門。すべてが規格外!!大きさ、構造の革新性、配置されている彫刻のすばらしさなど、どこをみても一流だった。

重源と慶派がこの門で共演していて、それが現代まで残っていること自体奇跡的だとも思う。

男は最後にこう思った、最高の芸術ここにあり!!

東大寺拝観時間と行き方

東大寺の最寄駅は近鉄奈良駅が最寄駅となっています。徒歩で約20分くらいです。

奈良公園を散策しなが向かうのがおすすめです。

拝観時間は季節によってかわります。(2019年9月現在)

4~10月は 7:30~17:30

11~3月は 8:00~17:00